佐渡金山の話し

 司馬遼太郎さんによると、佐渡島は江戸時代においては清朝の台湾のようで殆ど無用の島だったらしい。まず鳥羽伏見の戦いの結果などが知れ渡るのはその後45日もあとで、代官なども新潟にいて殆ど来なかったそうです。じゃ何故?となりますがそれは勿論金が出たからです。相川と言って北部西側に治所、すなわち代官が置かれるようになったとのことです。佐渡の金山を開発したのは家康だそうですが、コロンブス時代に「黄金の邦ジパング」と呼ばれていたのではなかったのか、となります。コロンブスというと室町時代から戦国時代ですね、15世紀終わり頃ですね。どこか間違えてるのかな?つまりその当時、まだ金は砂金を取っている時代ですね。

 話はそれますが家康というのは三河武士です。名古屋のタクシーの運転手が「あれ見てみや、三河ナンバーだで」と三河ナンバーをバカにしてましたね。つまりナゴヤーの人は信長贔屓で家康をバカにしてたのですかね?確か熱田神宮に信長の造った壁が残ってましたなあ!みなさん「知っとりゃーすの?」


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