死と諦観と
友人が他界し、有名な俳優や歌手が亡くなっていく、知人や友人の子息が亡くなったと聞いてその悲しみに思い遣る。しかし、それもやがて忘れるわけではないが日々の悲しみとはならなくなる。世界で多くの子供が戦火で姿を消し、多くの人々が土の下の人となる。それも日々の小さな笑いに消されて行くか、絶えず話題になる訳じゃない。人はおそらく死というものに拒まざる対応力を持っているのだろう。生まれた時から生きるという中で「死」と知らず知らずに向き合っているのだろう。良いとか悪いとかでなく、生きるということがやがて「死」に繋がるという覚悟が出来ているのだろう。そうでないと多くの死に対面すると悲しくてとても生きていけないのではないか、と。病院の待合室でふとそんな気がしたのです。
4.8.520
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