名古山節考その2

本日、改めて墓の検分をすると、なんと寛永年間のもありました。
1624年ですよ。なんと300年前です。墓は風化し、あれは苔かカビが
張り付いています。字もほとんど読めない。違う400年前や。
すると、姫路城ができた頃の墓です。
おそらく、その当時あった寺のものでしょうね。
明治維新で廃仏毀釈によって、寺が荒らされました。
その墓の行き所がこの墓地であったかも、です。
いやあ、あらたな愉しみができました。
墓も研究せなあかん。
なかなか死ねんなあ!

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