開高健の、、、  〜4


 エッセイ、「開高健のパリ」「生物としての静物」「開高健の本棚」(すべて1970〜80)などなどを読んでいると、タバコの専売公社やベトナム戦争が出てきて、もう時代は変わっている、とつくづくと感じるが、1970年代と言うと50年前だから、堺にいたなあ、とか40年前は大阪心斎橋、30年前は大久保、20年前は龍野、10年前は高砂、と段々と西へ、段々と生まれ故郷に近づいてきたなあと 少し思い出に耽る気分になった。結局はこの街に帰り生活することになっていたのか、と少し不思議な感じもする。堺時代に高槻とか西宮でマンションを買う話もあったが、世と情の流れに任せてこの街に帰ってきた。月給取りから商売人、また月給取りと変遷したが、学生時代に「君はいつか大金を手にするよ」と競馬狂いに言われたがそんな時は来なかった、金に困ったことは度々あったが、金が余って困るてのは無かったね。今更満足も不満足も後悔も慢心もないが、、、、、

やがて朽ちるか卒塔婆のやせたる姿もまた味が、てなことになるか、と嘯いて。

やはり、秋には茅ヶ崎の「開高健記念館」に行こう!

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