我々の会も
2月初旬に美濃の国南部で我々の「会」を開く。この場所ですることもその結果の一つだが、昨年5月に大津でした時は5人だった。かっての中から一人抜け、一人病い、一人は彼岸に、そして四人となって、まあむべなるかな、仕方ない。抗う理由も手段もない、寂しくもあるが、思えば20数年経つわけだ。パルテノン神殿の様に(そんなええもんか!)かっての栄華はいまや衰亡するローマ帝国のように(そんなええもん?)綻び弛み湾曲して崩落を待つばかりとなった。私としては各位の揺るぎない幸せと健康を祈るばかりです、勿論私自身への言葉でもあります。
写真は8年前だが、私が一番センチメンタルな人かも、、、
(昨日の続き、最近思うけど、不調になった人、認知症になった人、不幸があった人など、連絡が来ないのも一つのシグナルでそーっと待つのがいいかも、と。もし請われたら出来ることをする、の方がいいのか、と思う)
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