姫路城

他県の友人達とグループラインをしていて、姫路城の話になりました。何故今の位置か?手柄山ではだめだったのか、書写山では?等々となりました。
姫山には赤松氏の城があり、その基礎とかを利用したのでしょう、現在の城にしたのは池田三左衛門輝政でしょう、とかになったが、実はあまりはっきりとは知らない。資料を読んでもあいまいな事が多い。
城下から飾磨港まで運河を引こうとした輝政、未完だが名前を「三左衛門堀」と名付けられた。子供の頃
「サンダンボリ」とか「さんざんボリ」とか呼んでいたこの堀、三左衛門堀と発音しにくいからサンダンボリとか呼んでいたのだろうと、ところが「三段」になっているんだ、言う人が居た。すると、この運河はパナマ運河方式を目指していたのだろうか、となった。
「すわっ、パナマ運河の先駆けが当市にあったのか」と色めき立った。
これは夢ではない、実の話だ。
しかし、そんな訳ねーよ!

コメント

人気の投稿