コリー二事件その2

もし、ナチスがユダヤ人を虐殺しなかったら、この映画は成り立つのか? 例えばこの報復殺人はよくある戦争犯罪への仇討ちである。 そう言う戦争犯罪は連合軍にもあったはずだし、日本軍にもあったはずだ。この作者はナチスを、あるいは戦争犯罪を訴えたかったのか、あるいは1968年の法律を糾弾したかったのか? この法律によって多くのナチス犯罪者が救われたのは事実である。映画の中でも「アデナウアー時代にナチスが多くの要職に復帰した」とある。 最後にコリー二は判決の日に房内で自殺する。判決を聞きたくなかったのか、もう自分の生きる理由がなくなったのか、僕には分からない。  ただ、原作者には「この報復犯罪」に7年くらいの刑か、無期懲役の判決かを発表させる必要が無かった、のだろう、と思う。 (伏線に、新米弁護士はトルコの移民であり、子供の頃、マイヤーに経済的に大変、恩を受け、孫娘とも恋仲時代がある。まあこの偶然はストーリー上のアヤであろう。猫の布団の上に犬が遊んでいた、と。)

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