慣れ     2〜


 朝、私たちはマーマレードを塗ったパンと出来たてのコーヒーを飲みながら、イスラエルの空爆で死亡したガザの幼児や妊婦の死を国際ニュースで見る、そして今日の夕食の話をしている。そしてノースコリアの飢え死の映像やウクライナの日夜繰り返されるロシアの戦車やミサイルの飛翔の画像を見ている。そして何よりもの不幸はトランプの手を振り回すダンスもどきを見なければならない。我々には責任はない、朝、糟糠之妻とゆっくりと朝食を摂る権利はある、しかし、だがと考えてしまう。この世界は我々老人にとっては残り短い世界だが、残された人々とりわけ子供や孫達を待ち受ける世界の暗雲に佇まざるをえない、そしてまた私達の残り時間を憂うよりも深い憂慮を考えてしまうのだ。もしかして、老人が何かをするべきではないか、との囁きが聴こえてこないか?

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