落葉樹  ⑥


 その日の内に三原まで渡り新幹線で深夜に大阪に着けば良いと思っていたが、松山で彼女の話を聞いている内にどうでもよくなってきた。結局空港近くのホテルで泊まることになり、勿論彼女も泊まった。 翌日一番の飛行機で伊丹に行く、彼女は搭乗口まで見送りに来た。それから1年半ほどは松山で逢瀬を重ねた。
 しかし、やがて大阪の本社に戻ることになり、いつの間にか別れたことになってしまった。一度だけ彼女が伯母の葬儀で大阪に来ると連絡があったが、たまたま米原の東レの工場に出張だった。夜の8時過ぎには帰れる、と言ったが彼女は9時の船で松山に帰る、とのことで会えなかった。それが最後だった。彼女のことは忘れたことはないが思いだすこともなかなかない、それほど多忙な日々だったと言ってよい。手紙は
「真蔵が他界しました。最後に一度あなたに会いたかったと言っていた」と言うような内容だった。亮輔より6歳ほど若かったから60過ぎのはずだが、死因も臨終の様子も書いては無かった。
 卯之町に単身赴任中に大雪になった日を思い出した。愛媛県の南部は大阪より南にはあるが時々大雪が降るのは大陸からの寒気が関門海峡を渡ってくるせいだ。

コメント

人気の投稿