悲劇の質とは  339


 悲劇の絶対性と言うようなものはない。交通事故で子供が死んだ、癌で息子が亡くなった。海外旅行中に両親が急死した、悲しみに質の差はない、悲劇に量の大小はない、しかし、被雷して盲目になり、言語も障害が残り30年経つと聞くと「おおなんと痛わしい」と感じてしまう。いや、もっと不幸な事、不運なことはいっぱいあると言うのにそう感じてしまうのは、その時その時の感情のブレなんだろうか、いやその時感じるのはその時感じる不幸不運の質に自分を同化するからなんだろう。

今日も世界のあちこちで笑いや幸せな輪が有ると言うのに、また至るところで不幸不運悲痛痛哭の渦がとぐろを巻いているのだろうね。他人の悲しみは所詮他人の悲しみなんだね、それは仕方ないことなんだろうね。そこからどうするか、だね。

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