沈黙    346

 遠藤周作の1966年の小説です。学生時代に読みました、そしていま又読んでいます。再び読もうとしたのは隠れキリスタンの話しを多く聞いたからです。その当時(学生時代)も五島での話の間でも、ずっと感じてたのは何故彼らの多くがキリスト教に帰依したか、です。それが「沈黙」の40ページほど読んだときに解ったのです。それは藩主為政者たちの重税、身分保証のない支配圧政からの".逃れ"なのです。今更何?と言われるかも、ですが、彼ら極貧の農民にとってジーザスの福音は"救い"だったわけですね、高邁な主義や理想ではない、祈りを捧げることで救われたのですね、いや救われようとしたのです。簡単なことです。そしてポルトガルから生命を賭けて日本に来た神父達もその不幸な状態を知っていたからなのです。

現代の若者が呪文のような歌詞の歌を唄うと救われるのと同じとでも言えば叱られますかね?

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