自動律の不快
埴谷雄高の表現だが、「私が私であること」の不快さ,優しく言うと自分から抜け出せない、結局自分は自分でしか無い不快さと言えばいいかも知れない。
もっと具体的に言うと本来自分は保守的なニンゲンであるのに、何か格好つけて新しい人、モノへの理解を示す、また本当は言いたいのだが俺は冷静だ無闇矢鱈と人を非難しない、と韜晦すること、と言うと分かるかな?
最近それを感じてる、つまり感性のまま生きたらいいよ,と言うのはやはりだめだ、ストイックに生きないとダメだと思うようになってきた。もっと相手の気を慮り、相手が傷つかないか考えて話すべきだと考えるようになってきた。60〜70鼻垂れ小僧と言うのがわかりだした、と言ってよいかもしれない。鴨長明に近づいて来たかな?


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