「友達の家はどこ」イラン映画3

 1987年イラン映画。あの当時はイラン革命の何年後の時期かな?       映画は田舎の学校の話。小学校2年生。宿題のノートを間違えて持って帰った少年が隣町までノートを返しに行く話。ノートを忘れた少年はこれで4回目になると退学になる、だから主人公の少年は必死に返しに行く。結局は返せなかったが、結論は予想していたように、良い話、涙ぐましい結果になる。 主人公の少年のいじらしい程の純粋さが、それを認めない大人が腹立たしく思えるくらいだ。 田舎と言えど、土壁のみすぼらしい家やその貧相な生活が描かれているが、33年前と言えば、日本は高度成長期、バブルかな?で各家庭にテレビがあり、冷蔵庫があり、子供部屋も珍しくなかった。画面を観ていて、あれから33年経っているが、イランの現在が想像できる。
イランが世界とうまくやっていくのは難しく、また西欧とイスラム世界の関係も併存できるのか、と思ったね。アッバス・キアロスタミ監督の描く「執拗な老人の頑迷さ」やイランと言う国の持つ封建的な家族制度と言うか、彼の映像はこの国を否定的に表しているように見えるのだが、どうなんだろうね。「別離」「ある女優の不在」「セールスマン」とイラン映画は観ているが、この国の持つ不条理性をイスラム世界の固陋さと見てしまうのは間違いなんだろうか?
かってのペルシア帝国、なぜか中国と重なってしまうが、、、 この高名な監督(故人)はそんなことを言いたかった訳じゃないやろうね。
 (写真は関係ありません.なんとなく)    

コメント

人気の投稿