「蜻蛉日記」 ...


 作者は藤原道綱の母です。「息子の母が名前」が名前です。まあ当時、如何に男性社会かわかりますね。旦那は藤原兼家と言って高級官僚です。天皇を退位させて自分の娘の息子を即位させたとか、なかなかの曲者です。彼も四、五人の正妻、側室がおり、その母が道綱を産んだ途端、寄り付かなくなり「街の小路の女」に入り浸りとなります。まあ当時の男はやりたい放題です。光源氏も同じです。女は嫉妬とやるせなさで、毎日月夜を眺めて涙していたのです。だから、女流文学が華咲いたといえますね。石山寺の清少納言、「源氏物語」の紫式部、と男社会がバネとなり名作を産んだと言えます。
 それと、藤原家の男たちは内親王や有力女官などを片っ端から愛人にしています。羨ましい、違う、情けない男社会だったのです、泣いていたのはいつも女たちでした。
 ところで道綱の母は絶世の美女だったとか。美女でも幸せではなかったのですね。

  赤木文彦の中世文学講座

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