家人と


 祖母の死亡届を見たあとに、家人と話をしながら食事をした。
 話は私の少年時代に及んだ。 中3まではC町に住んでいた。一軒家の二階部分の借家住まいで家族五人が生活していた、狭かったし、炊事場は一階で母親は苦労していたはずだ。
 共働きで、父親は鉄鋼会社の三交代、母親はJAの前身に勤めていた。両親はまだ若くてよく喧嘩をしていた。何かにつけて口論になりちゃぶ台をびっくり返す事もあった。
 町内には、戦後10数年だが、まだ「焼け跡」と僕らが呼んでいた病院跡地があった。そこの裏は畑地で遠くまで田んぼが続いていた。少年はその喧嘩を見るのが嫌で、その裏によく隠れて遠くの小山をシルエットにさせている夕陽をみていた。多感な少年時代、なぜあんなに喧嘩をするのか分からなかった。少年は「将来は決して夫婦喧嘩を子供にみせない」と誓った。その情景は今でもはっきり覚えている。親には愛情を受けて育ったし感謝はしているが、尊敬は出来ない親だった、と思う。
 親は反面教師だった、良きにつけ悪しきにつけ、そうだった。

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