姫路城100回

 

名折れしないように、第二回登城登楼せんとす。今回は石垣を主たる研究とする。ご存知のように天守閣の石垣と東側、つまり小さな坂を越えるあたりの石垣は色も違うし石垣の仕様も大きく違う。東側の堀を眺めるあたりの案内板には「5回ほど石垣を修理」と書いてある。この東側はかなり古い時代の石垣である。赤松氏時代のものか、秀吉の時代、要するに初期のものであろう。


姫路市民なら知っているが、明治維新後、この城を取り壊そうとしたことがある。なんと23円で落札された、当時の金で10万円ほどだ。結果、現在の姿を残しているのは何人かの尽力のお陰である。今から思えば酷い話だが、明治とはそんな時代だった訳だ。

石垣も

堀も天守も

夢の跡

尚里


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