過信!「老い」と向き合う


 私には「老い」と言う言葉はない、と思っていた。少し、面映いが、老いは来ないと。 
 勿論、歳を取ることは分かっていたし、身体が動かなくなるとも理解はしていた。しかし、"老い"はあり得ないと思っていたが、5月の足首、6月の首肩痛からどうも良くない、退潮が続いている。怠さしんどさ、食欲不振、嫌酒等、心の落ち込みもかなりのものだ。
 これからは老いを意識しながら生きなくては、と深く思うようになった。
 老い、とは心の老い、ということか!
おそらく、自分は大丈夫だと言う神話が自分にはあった、あるいは老化を認めたくなかった、と言うことかもしれない。
 それにはある別れも後押ししていると思う。そう言う関係が永遠に続くと思っていた、私の体力と同じように、が、そうはならないようだ。

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