紫式部

 彼女は当時、当代きっての才女で漢文にも造詣深く、また歌詠みとしても非凡な才能を持っていた。彼女は女房として中宮に勤務している時に「源氏物語」を書く、そのことで藤原道長に誘われ口説かれる、まあ道長は最高権力者である娘彰子は一条天皇の中宮である、なんでも出来たのだろうね。「紫式部日記」によると藤原道長はそれは輝かしいいい男であったそうである。入内して九年目に彰子に子供が二人出来て、大変に喜んで居る様を式部日記に書いているが、式部は内心は嬉し悲しであったと想像できる。紫式部は父親程、歳の差のある男と結婚しているが、その不満で道長の愛人となったのかな?とは私の推測である。道長は不比等の孫、鎌足の曾孫である。古文に親しむもまた楽しからずや!

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