加計呂麻島と島尾敏雄。島尾敏雄が加計呂麻島の人間魚雷の指揮官として、この島の中央部の呑乃浦に着任し、1945年8月13日、13人の部下と出撃すべく待機していた。15日終戦となり彼は生き延びた。このことが彼の代表作「死の棘」となった。知らなかった、と言うより忘れてしまったのだろう。文学通がこのざまだ。「死の棘」読んだと思うがなあ!
後ろが加計呂麻島です。今日は本当に珍しく遠く徳之島まで見えました。善人往生遂ぐ、ですな。
後で知識人に聞いたら、やはり「死の棘」は奥さんとの嫉妬話しで聞き間違いかガイドの間違いだね。
472030 →2
コメント
コメントを投稿