変わってない私が、、いる

 


昔から、若い時から、あまり先や奥を考えてやらなかった私だ。500万のコンピュータが少し背伸びだったと分かったのは商売をやめてから、また大久保に工場を持ったのも結果としては負債を重ねることになったこと、龍野の施設、高砂の施設時代の反省、その他のもろもろは失敗ばかり、だったかもしれない。しかし、それらが今の細(ささ)やかだが安定にあるのだ、とも思っている。補聴器の高額購入、また簡単にモノを買うことも反省だが、こうして生きてきたから、仕方ないとも思っている。何かに打ち込まなかったこと、何かを一生懸命にやらなかったことも、反省している、しかし、そういうふうにやってきてたなら、もっと敵も出来ていただろうし、私を友人と慕ってくれた人も居なかったかもしれない。自己弁護してる訳ではなく、分析している私を、無論忸怩たるものがない訳ではないが、、、そういうことだ。

人生の終焉が見えてきたから言えるかも知れないし、だからこそ言えるのかもしれないが、、、

  しかし、右耳はますます悪くなって行くなあ!

ともかく、今更何を言っても遅すぎる、訳でしょうね!

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