蜻蛉日記を読む



 私がこの日記が面白いと思ったきっかけはNHKの放送、英会話の後か先かにこの日記の解説放送しているのをたまたま聴いたから。
 夫(と言っても側室)とその愛人に対しての嫉妬や泣き言は平安の世も今も同じだなあ、と。
 道綱の母、すなわち藤原兼家の妻は自分の名前で呼ばれずに「道綱の母」と呼ばれる。当時の女性の地位が分かる。兼家はあの栄華を極めた道長(正妻の子、道綱とは腹違い)の父である。
「蜻蛉日記」は、あの「源氏物語」以前に書かれたといわれる、つまり女性の散文としては史上初と言うことになる。
 夫との14年間の夫婦生活が「蜻蛉(朝生まれ夕方には死ぬ)」のようであった、また「陽炎」のように幻みたいに朧げであったと「道綱の母」は思っていたようだ。何人もの側室や愛人がいるのにヤキモチを焼くのは不思議と思うが、「やはり私だけ」と思いたいのは古今変わらず、か!
しかし、彼女は非常に聡明で美貌の持ち主だったようだ、また当時は貴重品であった紙に不自由しないと言うことは中宮の近くに居たことが分かっているらしい。

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