王朝は「私」である。 


 司馬遼太郎によると、中国の王朝、そして現在の中国共産党も「私」である、と言う。
「私」のノギ偏は木の下の穀物の垂れるさまを言うらしい、ツクリの(ム)は口で、穀物は自分の口にはいるもの、となるらしい。「公」ではない。つまり歴代の中国王朝は全て自分のための王朝とのことだ。秦王朝、漢、隋、唐、明、清、中華民国、中華人民共和国、全て「私」だそうだ。
 それは多民族多人種、広大な国土、辺境からの絶え間なき侵略がそうしたのかも知れない。中国には「国家」と言う概念が無い、と司馬さんはおっしゃっている。
 そのように見ると、中国のことが分かってくるように思える。中国共産党は違うだろう!と、しかし、文化大革命、天安門事件、現在の「香港問題」をそう言う視点から見ると、「なるほど」と見えてくるものがある。
 もう少し「中国研究」を進めよう!

注、最初の台湾旅行はいろいろ調べて、友人の協力を得て、やはり1991〜94年頃とわかりました。つまり、戒厳令終了、まじかの台湾だった、と言うことです。

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