駘蕩、圃場だの 

 駘蕩、圃場、浩瀚だの、司馬遼太郎を読むときは知らない言葉に遭うことが多い。言葉はその意味を知っていても適所に使えなければ知識とはいえない。
 興福寺は明治維新後「太政官令」により廃仏にて僧は還俗して春日大社に行く、なんてことは全く知らなかった、つい三月に東大寺、興福寺、春日大社と回ったところだったが、先にこの「奈良散歩」を読んでおくべきだった。
 弁護士が法律を知っていて当たり前、医師が医学を知っていて当たり前、歴史小説家が歴史を知ってて当たり前、のこと、と思えばいいのだろうが、ただ、世間の人はこのような歴史を知っているのだろうか、と、思案します。

いつも間にか、私も「バカの壁」を築いてしまったのか、と。

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