"これが人生だ"  


 て言う名の店がミナミにあった。あれは笠屋町かな?女の子も付くから当時の言葉で「ラウンジ」(今でも言う?)というのかな?
当時、安サラリーマンだから、もちろん居酒屋から「ええい!」と行ったりすると"付けツケつけ"で飲んだ。まあ2、3万のツケに月末1万程持参して、また、一万ツケだから減らない、しかし五万とはならなかった、はず。請求書はくるがあまり請求されなかった、催促されなかった。Tさんと言う大手の運動具、靴、ウェアメーカーの人もよくツケをしていた。
 ある日、電話で「いま、怖そうな人が受付に来ていて、◯◯◯から来た、と言っている」とそのラウンジの名を告げた。Oさんもまあ高々五万円くらいのツケだったはずだが、時々は払っていたから取り立てまでするのか、て感じだった。なんでも彼らの話しでは払わないと帰らない、みたいな様子だと言う。結局、銀行まで一緒にいって払ったそうだ。分からないのは僕には一切請求しないのに、彼には取り立て屋まで寄越したてことだ。僕のは最後まで残った、つまり支払いが残ったままだった、と思う。もう40年近く前の話しだけど。
「結局、よくモテた、て話?」
「そうだよ!」
「なんで、今更?」
「なぜか思い出したんだ」
「ふーん、都合の良いことだけ思い出すんだ」

(これUPしてないね?誰が読んだんやろ?)

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