重病化したら

 医師も見放したような重病になれば、手の施しようのないくらいに重篤化したら、あとは神頼み、つまり宗教にたよると言うのはこれはもう仕方ないと思う。勿論、肉体だけではなく、精神的に追い詰められる、深い底に落ち込んだ時もまた宗教に縋るというのも反対する理由は一切ない。問題は創始者と言うか開祖は言わば純粋に民衆を救いたいと思ったののでしょうが、勿論例外もあります、それを引き継ぐ者は純粋なものでない時もあります。少し論点がずれましたが、人は何故宗教にたよるのか、てことです。それだけ人は弱い、って事です。崇めるもの、尊ぶものがある方が楽になるからでしょう。

 中世、平安から鎌倉の諸仏教が飢饉や流行病の民衆を前にした時に、何かできたのか、といつも思います。厭離穢土、欣求浄土が達成されることはない、それはいまの世界の政治軍事状況を見れば明らかです。いや、なまじ宗教があるからこそ現在の混迷が起こっていると思えてならないのです。救うための宗教がかえって大衆、民衆を苦しめている、と言うのは過言でしょうか?

美術館前では

もう寒いのに、ミストやってたよ。

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