友人の存在て

  例えば、苦しい時、哀しい時、落ち込んだ時になんらかの慰め癒し解決への糸口、などが友人を待つ価値ではないかと思う。勿論それらを目的として"友人"になることはまああり得ないつまり潔しとはしない、とは思うが分からない、そんな奴もいるかも分からないと言う意味で。楽しいこと、時ばかりの友人と言うのはありえないだろう、だって生身の人間なんだからね。話せないほどの悲嘆、苦痛、苦悩があるのもまた分かる。しかし、取り返せない悲しみ、例えば肉親の死、親友の死、などは時間が薬であるかも知れないが、何気ない友人の思いやりの仕草などで救われることもあるだろう。あー自分は一人じゃないんだ、と。家族とはまた違う救いが友人にはあるのだと思う、いや思いたいがどうだろうね。
多様性を認めることは大事だが、自分の持つ気概や矜持も大切にするべきだろう。

コメント

人気の投稿