老いてなお勉強  

 過日、大阪深南部に友人を訪ねた折、近代から現代の政治史、民族史などの話になった、友人はよく本を読み、勉強をしている。そう言う勉強会のレジメなど見せてもらったが、細かい字で手際よく書かれている。神戸の友人も中公新書などは五回は読むという話だ。本が付箋と線引きで分厚くなっているのを見た。だが、みなさん学生時代は全く勉強しなかった人達である。遅まきながら今せっせと本を読み、友人との議論に刺激を受け、また読書をすると言う老後になっている。今更勉強してもなあ、と言う声もあるが、それは知識欲、世界認識への欲望である、食欲、性欲、名誉欲の減退に伴うそれらの欲望の代替的隆起である、と思う。何事を始めるのに「遅い」と言うことはない。また何事も収めるのに遅いと言うことも、また無い。

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