司馬遼太郎   

 「播磨灘物語」の後書きで、読者からの手紙の事を書いている。阿賀城の三木氏の末裔らしき人からの「阿賀城が余り出てこない」などの一種のクレームらしきことで辟易したような事を書いている。あの司馬遼太郎でもこんな事を感じるらしい。彼は「韃靼疾風録」を最後に長編小説を書かなくなったらしいが、それも「韃靼、、」の小説に史実と違う、とのクレームがあった、と聞いた。まあ小説なんだから、多少の推測や飛躍があっても構わないと私は思うが、司馬遼太郎くらいになるとそうは行かぬ、のかな!

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