壱岐、対馬の   


 1019年に刀伊族(後に清を作る女真族)が壱岐対馬に侵攻し、能古島まで来たことを知っていますか?道長の甥の藤原隆家が太宰府兵を率いて撃退したそうです。壱岐対馬から何人か連れて帰ってしまわれたそうです。また何人かは喰われたと。当時は荘園制で専門の武士はいなかったのですが、隆家の部下やその地域の名士の兵(ツワモノ、私的用心棒か)が戦ったそうです、この後、武士が誕生してくるわけです。後の元寇と言い、壱岐対馬はそれこそ日本の国境最前線なのです。習った気もするが、忘れてますね。(古い新聞スクラップを整理していたら出てきました)
 能古島出身の女将の「能古」ておでん屋があったね、今もあるのかな? よく浸かったおでんのように艶っぽい女将だったね。失礼、褒め言葉ですが、、、


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