徳島の思ひ出**

 昭和47年、罰金刑と言えど前科のあった私は大正区に本社のある小さな繊維会社にゼミの教授の勧めで入社した。この会社の創業者が徳島県出身だったので木頭村から那賀川を阿南までくだる町々に小さな縫製工場があった。その殆どが過疎化による学校跡地である。 

 和歌山港から高知県境にある木頭村まで当時は船やバスで12時間近く掛かった、今なら4時間掛からないが、、、、

と「徳島」をテーマにした応募小説を書き始めた。16枚の予定だが7枚まで進んだ。

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