50歳から75歳

 今50歳の人達がどう感じているかわからないが、私は30代の頃に50になったら「人生を右や左に切って捨てられる」と思っていたし、信じていた。少し老成していたと自覚していたからだろう。それは大きな間違いであることは50を過ぎて直ぐに分かった。その歳になればその歳の苦悩や躊躇や悦楽を知ったから。そして20数年経ちもう老域深くなってあまたの雑音はシャッタアウト出来る、出来たと思った、がしかし、そうでもなかった。周りに変化があった、もちろん自らが招いた部分もあったかも、だが。
 友人の急死、離れていく仲間、その人達の老いたるが故の忘却または病理的下降、それは私自身の確固たる精神的自立が制御統御するはずであったが、なかなか定理通りにいかないこと、であった。60.70鼻垂れ小僧の意味が昨今理解できる、否、人は死ぬまで達観出来ないてことを達観しつつある日々である。

私の死体を地に寝かすなと謳った詩人はおそらく立ったままずっと過ぎ去りし人生を見据えたかったのだろう、死者の目で。寝たら天井しか見えないからね。

分かる日は
分からぬことが
分かる日なり
尚里

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