琉球展、沖縄の歴史

 グスクというのは地方の権力者、按司の拠点であった、その最大のものが首里城である。
 江戸時代、島津藩の侵攻で幕藩体制に組み込まれながらも明や清の朝貢国としての位置も変わらず二つの王朝(幕府と清)の属国的な立場が長く続いた。島津侵攻以前は康熙48年とか乾隆33年とか琉球は中国暦で表記されていた。グスク、ウチナンチュウなどの沖縄独特の言語が大和民族とどちらが関係が深いかと疑問である、またあの大東亜戦争で最後の前線として本土の犠牲となり、今また基地問題などを抱える沖縄は歴史から言って本当の日本なのか、と考えさせられたね。
明日が最終日とあって人は多かった。そして来て良かった、今まで6回は彼の地を訪れているがまた行きたくなったね。
明治12年、政府による「清朝との断絶」命令はいわば明治政府の"恐れ"を表したものかもしれない。

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