朝起きて




 海を見に行こうと歩いて居たら、後ろから来た少女が
「おはようございます」と、
「海を見るのはこっち?」と聞くと少女は反対側を指す
「そちらはオホーツクでしょ?日本海はこっち?」
「はいそうです」と少女。
稚内の人にとって海とはオホーツク海のことなのかな?(これは私の全くの勘違いでした。稚内はノサップ岬にあり右も左も言わば宗谷海峡です、オホーツクではありません、ましてホテルは宗谷湾内でした。少女はこの爺さん何も分かってねえべなあ、と思ったでしょう)

28歳(1809年)で樺太に渡り、離島であることを確認した、我が国は日露戦争で北緯50度以南を手に入れた、そして太平洋戦争によりロシアに返還したが、その時日本人が40万人居たそうだ、日本に帰還する時に多くの人が犠牲になった。国は最後は人を守らないと言うことだ。


♬宗谷の岬は〜〜何もない春でーすー♬

いや私が居ました。

コメント

人気の投稿