身近な死に対して
吉本は確か姉の死に際して「深い悲しみと言うのは言葉に出来ない"ただ雨粒が滴り落ちていた"と言う風にしか書けない」みたいな事を書いていたと思う。開高健は"作家はどんなことでも苦心呻吟してでも表現しなくちゃならない"見たいなことを書いていた。身近な深い悲しみを他人に伝える是非をある人と話していて、そんなことを思い出した。
私は伝えるのは自分自身の問題だと思う、自分自身の不幸なんだから、言う言わないは自由だ、と。人は一元的に判断したいし、しようとする(私も含めて)しかし感性が多様なように判断から行動へも多様になるはず、まあ当たり前だね。
しかし、他界にしろ疎遠にしろ友人が減る、てのは「ちょっと近くに来たから飯でも食おう」てのがなくなるね。
だから何? 分からんか?
コメント
コメントを投稿