ダリやセザンヌや 4〜
私がダリやセザンヌやピカソやモネやに惹かれて絵画を見ることを始めたのは15年くらい前からだ、と思う。それは自分を現す自分の感性を貫くということに執着できる、そうした画家が羨ましいと思い始めた時だったのだ。印象派のほとんどの画家は極貧の中に絵を描いた。時には節をまげる画家もいたが、絵の具も買えない画家が多かった。しかし、描くことによってしか自分を表現できない、表すことによってしか人生を送れない純粋さが私を魅了した。
人を殺し逃亡の中にも描き続けたカラバッジオ、巴里を逃れ南国に自分を生かし続けたゴーギャン、筆と絵の具とキャンバスでボヘミヤン的放浪した画家たちに自分の理想を見たかったのだろう。それは食うためとは言え、したくもない仕事に従事した自分へのアンチテーゼとしてであろう。
後年、「金の為に仕事をするな」が口癖になったのはそのせいだろう。今でも、ボヘミヤン的生活に憧れている私は「離島巡り」を標榜してその意を表している、日は暮れて道は遠いが、そして理想的な生活とは程遠いが"少しでも"の気持ちなのかも知れない。
♫もういくつ寝ると
墓の中〜〜
いや、夢の中へ〜
アッハッハー ♫♫
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