北魏からの


 中国4〜6世紀、「魏」と言う国があった。三国志の魏などと区別する為に「北魏」と呼ばれた鮮卑族の国だ、北方騎馬民族である。南に宋があったから北魏と。この国は皇太子に選ばれるとその生母は死ななければならない。権勢を持った母親が他の側女達やその親族を殺すから、らしい。

 清時代、夜伽をする女は10〜20人は居て皇帝の子供は20〜30人は居た。60人も居た皇帝もいる。跡目相続の争いは凄まじい、陰謀渦巻く紫禁城であった。鮮卑族の残党が関与した隋、唐時代からヌルハチの清王朝まで、皇太子の生母が死ぬという制度は残されてはいない。何故、北魏のその制度が終わったか?それを調べようと思った。

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