悲しみと恐怖の傘の内 4→


 恐れに免疫はあるか?多分、イエス。「おれは弾の下くぐってきたんだぜ」と嘯く元ベトナム帰還兵は「怖いものなんかない」と、確か「グラントリノ」でイーストウッドのセリフにあった。
 では悲しみに免疫は?答えはNOだろう。親の死、兄や姉の死、これは予想出来るし覚悟も出来る、勿論突然の死や事故死はまた違うだろうが。しかし、友人の死はどうだろう?弟や妹の死は?ましてや自分の子供や孫の死は?それは予想外であるし、予想したくない死だから、悲しみの免疫があるはずがない。私は今まで、そう言う目に遭っていない、それは幸運というか幸せなのだろうね。死が避けられないものであるのは皆んなが分かっているのに、予測を外れる死別は悲しみを超えて悲痛なる心への拷問となるだろう。傷口が塞がれても瘡蓋になることはない、ずっと染み出す赤い血が止まることはないのだろうか?

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