男鹿島    ⑤


 東南アジアからの家具、雑貨を輸入していた会社に就職したのは前科のある幸市のためにゼミの教授が手配してくれたものである。幸市自身は就職というのが自分の身に関係がある、などとは考えたこともなかった。将来とか自分の未来に何も絵が描けてなかった。「地域経済活性化論」と言う人気のないゼミを選んだのも、会計学や財政論と言った人気ゼミに反発したことも影響している。ゼミの教授が紹介してくれたのは興南商会と言って本町駅から堺筋に向かう一本目の筋を南に入った所にあった。ゼミの卒業生の父親が経営している職員20人程の会社だった。最初は経理部に回された。大卒が少なく、社長の出身地の香川県からの社員が多く、大卒は営業の専務と課長と社長だけだった。社長は幸市には幹部候補生として経理、財務の知識を与えたかったようだ。

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