男鹿島    (13)

 ビジネスは順調に進んだ。その殆どが山岸のおかげだった。百貨店のバイヤーにも口を聞いてくれた。そのおかげで記念セールなどにも出品できた。
 韓国の螺鈿家具、タイ、ベトナムのマホガニー家具、装飾品、インドネシア、カンボジアのシルク小物、中国の筆や彫り物等々、幸市の目利きもあったが、山岸のアドバイスが大きく、バイヤーとの円満な関係、銀行からの借り入れなど、全てが順調すぎたと言ってもいい。一度だけ、100万円ほど、不渡りを食わされた、これ以外は未収金の発生は全くなかった。その他も順調に推移して行った。
独立する時、五桁いや四桁しかないない時もあった通帳には六桁、いや七桁の残額が残ることもあった。よく仕事をし、よく遊んだ。ワンルームの事務所に寝泊まりし、朝は5時に起き、帳面を付け、事業計画を起こし、資金繰り、仕入れ予定、販売計画、一日5時間も眠らない日が続いた。夜はバイヤーやその部下の女の子を連れて飲みに行く、時には新地のラウンジにも行く、よく遊びよく仕事をした。
 しかし、好言魔多しの例え通り、そんな時に事業を広げ過ぎた、深入りした。当時、円高バブルが始まっていた時期だった。

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