1月17日


 28年前、日頃は忘れているが思い出せばその全てを思い出せる。悲しいというよりもあの時期の個人的な辛さのほうが頭に浮かぶ。当時、大久保に作業場があり、大阪堺筋本町に事務所があって手広くも細々と仕事をしていて、金策に多忙な日々だった。人生で一番辛かった時期でもあった。
 1.17.早朝、駅に向かっていたら散歩から帰る父に会った。「電車なんか動いてない」と言われ、帰宅してボルボS70で大久保に向かった。朝7時に出た、工場に着いたのは午後8時、普通なら1時間足らずが11時間掛かった。工場は大した被害もなく、机の引き出しが出ていたくらいだった。日常的な辛さからか、いっそのこと全てが無くなっていたらいい、とさえ思っていたかもしれない。

それから28年、その後も何年か辛い日々が続いていたが、いい方向に変わって行った、阪神大震災は悲惨の極みだったが、僕にとっては良い方に人生が変わっていく分岐点だったかも知れない。それは世界にはもっと辛いことがある、と言う教えだったのかも知れない。多くの亡くなった方々、被災した人々には申し訳ないが、そんな事を思う28年間であった。

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