フーコーやサルトル

 ミシェル・フーコーは過去読み始めたことがある。難解でやめた。しかし、とあることでまた読みだした。相変わらず難解や何回読んでも。  サルトルも何回か読みかけたが、やはり途中でやめている。最近「自由への道」を読み始めた。読める、つまり余り意味とか前後を深く考えないように読むと読める、男と女、妊娠、他愛の無い会話、嫉妬、べダンチックなやり取り、あまり裏読みしなければ読める。「嘔吐」読もうと、単行本あったけど、探したがない。

 そうだ徳富蘆花の「思ひ出の記」も何回かの中断の後に読めた、「スクールボーイ閣下」も何回かの途中中断の後に読めた。何ごとも、時期があるのだろう、と。読書も狎れと言うのか、若い時のように一字一句理解しようと思わずに読み飛ばすことかな?今からなら何でも読める、なあ!  
黄泉の国近くなりにて読み出来る、か!

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