街へ行く、てのは

 

さつまいもから出た葉

  札幌ではススキノなど繁華街に行くことを「街に行く」と言うらしい。私の町では駅前などに行くことを「姫路に行く」と若い頃言っていた。今から思うと姫路市に住んでるのに姫路に行くてのはおかしいが、それだけその時の住宅地と街の中心には距離的空間も気持ち的空間も大きかったと思う。恐らく街の中心に住む人々はこうは言わなかったと思うけど。
で?
歩いて行く距離は昔も今も変わらない、ただ風景が変わり、街並みが変わった。あのビルがもう無い、更地にモダンな家が建っている、古いアパートが無くなっている、街が変わってしまった。もう豆腐町の平面交差にいつも車の長い列が出来ていた事も、駅北に朝日新聞の配達所があってそこまでは駅から土の土地だった風景も思い出せない、そうそう飾磨街道に「ロバのパン」て移動パン屋が南下してた事があった、🎵いつも楽しいロバのパン、、🎵と女の子の歌声と一緒にパン屋がやって来た。昭和の中頃だね。当時は馬車がまだ運搬手段でもあったね。


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