末僧親鸞

 「最後の親鸞」によると、非僧非俗の思想で越後に流された彼は、その後、坂東で彼の"説"を説いてまわる。彼はもう浄土宗の主流本流を離れ、末僧(と言う言葉があれば)に甘んじてた。京都に行きひたすら自分の説の深みを目指していた、彼はもはや「世捨て僧」だったのである、しかし、弟子が彼の言行録をまとめてやがて浄土宗の大本山となる、と言うことだ。浄土真宗と言うのは後からつけられた名前だろうね。

何が言いたいの?

 つまり物事を極めんとすれば、いずれは芽を吹くかもしれないよ、と言うことを言いたい訳だよ。


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