巡礼に似た


 大江健三郎の「セブンティーン」を読んだら、これは「テロルの決算」を読まなくちゃと思い読んでいる。どちらも一度は読んでいる。宮本輝の「本をつんだ小舟」を読んでいたら「異邦人」や「あすなろ物語」をもう一度読もうと思う。それはまるで自分の墓跡を探る巡礼のようなものか、と思えてくる、たぶんいろんな小説や評論やエッセイに自分の感性や思想や人間観が形作られてきたのだとは思うが、あの本この本の内容は忘れたものが多い。こうして、もはや新しいものが読めなくなってきて、昔を思い出す読書の時間が多い。そして古き時代の幻影や風景や人の顔を思い出すのが心地よくなって来ているのが少し不思議な気もする。
 まあね、言いたいことは読書に一貫性が無い、てことよ。

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