開高健から   

 司馬遼太郎の文章のついでに、愛する開高健の「裁きは終わりぬ」から、これはイスラエルのアイヒマン裁判の傍聴記の一部である。死刑判決を聞いて、、
『世界に向かって絶え間なく、俺たちは選民だ、どの民族も出来なかったことを俺たちはやって来たのだと、この二千年間の流亡の中でつぶやき続けてきた彼らの自尊心も、この裁判を終結させるについては、結局のところ、他のどの民族でも下せる常識に屈服しただけではないのか、、、、』
 この後、開高は『アイヒマンは釈放すべきであった。ぜったい、生かしておかねばならなかった。生かして釈放し、彼自身の手で運命を選ばせなければならなかった。焼鏝を用意し、彼の額に鉤十字を烙印して追放すべきだった』
と結ぶ。開高は40代の終わり頃だったはず、若さ故の高ぶりは見られるが、作家のこういう目、視点が政治家、政治屋にはない、いや無いからこそ政治家、屋になれるのだろう、そして厚い皮の顔の、世界を解らぬ輩になりさがるのだろう。



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