島左近

" 三成に過ぎたるものが二つあり、島ノ左近と佐和山の城"と謳われた賢臣、島左近はあの「洞ヶ峠を決め込む」を作った筒井順慶の家老であった。それこそ三成が「三顧の礼」をつくして家臣になってもらった。
知らなかったなあ!まあさ、何も知らないけどさ!

司馬遼太郎「島原、天草の諸道」を読む。嗚呼、天草諸島、島原半島も回らねばなるまいて!
 話は筒井家の家臣たる松倉重政の話しではあるが、、、この老獪な重政は大阪夏の陣で多大なる功績を上げ、家康から肥前島原4万8千石の大名に任ぜられた、と続きます。

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