李氏朝鮮と明

テレビからの知識が半分で恐縮ですが、、、、

 李成桂が高麗王朝を倒して李氏朝鮮を作ったのが1392年、中国は明の太祖、朱元璋が崩御し、孫の建文帝が王位に就く年、イソンゲ(李成桂)は明に使者を送るが、その使者に彼の四男のイ・バンウォン(後の第三代、太宗)を任命する。その後の太宗の息子が第4代の世宗大王、つまりハングル文字を作った人である。しかし、面白いのはここではなく、李成桂が明に使者を送るが明に軽くあしらわれることである、この後、清になっても李氏朝鮮王はドルゴン(ヌルハチの息子)に三跪九叩の屈辱的従属をさせられる。この朝鮮半島の中国への隷属の歴史には何故?としか思えない。勿論、国土国力の違いがあったけれど、何故大陸に服従したのか、これが恨(ハン)の根元か、と。素人解説ですので、間違えてたらミアナムニダ!(TVドラマでは朱元璋はまだ生きており、イ・バンウオンと謁見してましたが、、、)

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