貸し借りの秤 (弐)

 友人、知人、知人の手前、単なる知り合い、付き合い方の濃淡、深浅、長さ、まあいろいろあるが、貸し借りてのが多少ある、と思う。金銭ではなくて、まあそれも含めて、あの時の借り、昔の貸し、便宜を図るとかアドバイスとか労務の提供など、そして自分なりに秤に掛けている部分があると思う、私は。世間の人はそんな事感じないのかも知れないけど、いや何も私が正しいとか言ってるのではなくて、そう言う思いがある、て話だが。
 この歳になっても「嗚呼あの時は悪かったなあ」とか「あいつも一言言ってくれたらなあ」とかの想いはなかなか消えない。そんな心残りを消したいとは思う、前者は謝る機会があれば、とか思うし、後者についてはもう彼岸の人が多い、しかし時々思い出す。人は罪を重ねて生きている、いけるんだとは思うが、それを赦してくれる人が多くいたんだなあ、と。なんか仏教説話みたいになったな、悟ったような事言ってるから私も長くないか、なあ!と。
円教寺で性空さんが掘った仏像が公開されるそうだ。久しぶりに登って見るかね!
ラジオから「サランへミロ」"愛の迷路"が掛かっているよ、よく歌ったなあ。
   🎵アドカン〜サランへミロヨー🎵

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