済州島43事件のこと

 私は大きな勘違いをしていた。それは済州島大量殺人事件が4月3日であった、と。実は4月3日は済州島の「単独選挙反対派」の蜂起の日だった。その後、米軍の朝鮮半島戦略によって鎮圧部隊が結成され、二万とも三万とも言われる島民虐殺の焦土作戦が行われたのであること。またこの事件により済州島から多くの韓国人が大阪とくに生野に来た、これも過ちで日韓併合以後1920〜30年代から多くの島民が日本にやって来て所謂労働力となったこと。
 そして43事件のころ、つまり1948年頃の韓国は李承晩政権であるが、非常に脆弱であったこと、それに比べて北の金日成政権は既に強固な地盤であったことであります。種々大きな勘違い大きな認識不足がありました。もう鱗は落ち過ぎて水晶体まで届きそうです。
そんな事も知らずにのうのうと物見遊山にチェジュ島に3回も行っていたのです、反省してます。初めて行ったのは1980年代の終わり頃です、その頃はまだ誰も43事件のことを話題にしなかったのも事実ですが、、、、
今改めて、この視点を持って済州島に行きたいが、もう無理だろうね。

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