他人と朗々悔悟

  他人と言うのは、自分が思っているほどあなたに関心がないし、あなたが思っているほどに興味がないわけではない。人は時として自分に引きつけて考えたり、いくら訴えてもあなたの話には上の空てことがある。それは仕方ないことであり、また悲しいことである。出来うれば一緒に悲しみ同じ場面で手を叩いて喜びたいが人はそんな聖人君子ばかりではないし、またそうあるべくも生かされてはいないものだ。時に嫉妬し、羨望し、見下したりするものだ。時々天使のような人もいるがなかなか見つからない。
 どんな人も自らの人生を誇っていい、また自らの生き様を後悔してもいい、それはその人の人生の一部始終を知って居るのはその人しかいないからである。なかなか人生を達観できるものではない、時として予期せぬ不幸や思いもしない裏切りに出会うものだ。なんだあんな奴だったのか、いやあいつは実はいい奴だったなんてことはよくあるものだ。歳を重ねると言うのはそう言う見分ける能力を付け続けることだか、そうそう上手くは行かない。仲良く出来るひとと仲良くすれば良い。もう修復の時間なんてあまり残っていないのだから。

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